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   <title>スイーツ系サンド集めてみました</title>
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   <subtitle>私は、スイーツ男子ならぬスイーツ女子</subtitle>
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   <title>神聖な儀式</title>
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   <published>2012-05-10T01:08:31Z</published>
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      紀元前884年、疫病がエーレイアを襲いました。


時あたかも、エーレイアはやはりペロポネソス半島にあるピサと交戦中でした。


そこでエーレイア王のイフィトスは、デルフォイの神殿で、ピュティア(巫女)に相談します。


するとピュティアは、スパルタの専制君主リュコウルゴス〔紀元前9世紀以前。デルフォイの神託によってスパルタの憲法を定めたとされますが、神託が実際に登場するのは2世紀後〕の同意を得て、オリンピア祭を再開するよう、イフィトスに進言します。


この紀元前884年という年代は、1829年にフランス調査団がオリンピア遺跡を発掘した際に出土した遺物によって裏付けられています。


オリンピア競技大会は神聖な儀式でした。


リュコウルゴスとイフィトスは、オリンピア競技大会が不可侵のものであることを宣言しましたが、4年ごとという周期が遵守され、ギリシア暦が始まった紀元前776年まで待たなければならなかったのです。


文書に記録されたオリンピア祭の開催時期は、貴族たちが権力を握っていたギリシアの都市の誕生と軌を一にしていました。


      
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   <title>日本で見えたオーロラの話　4</title>
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   <published>2012-04-20T05:01:06Z</published>
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      北海道では網走、女満別、岩見沢、浦河、札幌、旭川ではっきり観測され、写真やスケッチが残されています。


その他の地方では、青森、秋田、山形、福島、新潟、長野、栃木、茨城、東京都下(浅川)、京都、広島、山口で目撃報告が得られています。


旭川で、高校生がスケッチしたオーロラの姿は・・・


北の空に幕状に40度ほどの高さにひろがった中に、黄やオレンジの光条が入って、まさしくこれこそオーロラというにふさわしい眺めです。


とにかく、東京あたりでは今や無理かと思いますが・・・


東北から北海道では、太陽活動の極大期になる11年ごとに多少なりともチャンスがあると思って頂くことです。


      
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   <title>日本で見えたオーロラの話　3</title>
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   <published>2012-03-11T05:00:27Z</published>
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      目撃例は北海道、東北はもとより、北陸、東海、近畿から四国松山、九州の長崎にまでわたっています。


・・・この時の記録の中で、注目されるのは、寿量庵秀サが編纂した『星解』という書物に京都で写生されたオーロラのみごとな図が掲載されています。


朱で塗られた赤い放射状の帯が地平線からひろがっていて、かなり真実を伝えていると思われます。


最近ではどうかというと・・・


明治以後では、明治4年(1872年)、42年(1909年)、昭和3年(1928年)、13年(1938年)とありますが、もっと記憶に新らしいものでは、昭和33年(1958年)2月11日に、北海道、東北から西日本にまでわたるかなりみごとなオーロラが出現しています。


・・・この前年、太陽黒点は極大期となり、黒点観測はじまって以来という最大級の黒点群が出現して、太陽活動の激しさを物語っていました。


果して翌年2月11日午後6時半ごろから見えはじめ、7時30分すぎには極大に達したようです。


      
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   <title>今日は占いの話</title>
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   <published>2012-03-06T01:33:57Z</published>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wwmatrix.com/">
      <![CDATA[こんにちは。今日は占いの話です。

なんと占いの中でも重要なのは、どんな人生かを占う運命学だそうです。

誕生日と男女の違いだけで作られている運命学によって、人生を前もって知ることができるかどうか。

それを調べる上でかっこうな材料があります。

「アストラル・ツイン」です。

アストラル・ツインとは誕生日が同じであるために、占いをしたときにまったく同じ結果が出てくる人たちをさします。

運命学の立場からいけば、誕生日が同じであれば、その人たちの運命は同じか、少なくとも主な部分だけでも何等かの共通性があるはずです。

星占いによって人の人生を占う、ましてやそれを職業にするというなら、こういう点に興味を持つのは当然のことで、多くの専門家が議論しそうです。

実際はほとんどありません。

少なくとも一般的な占いの本で、アストラル・ツインについて議論した文章を見たことがありません。

こんな基本的なことすら調べないで、中国四千年を虎の威にして本を書くから、占いは娯楽産業から進歩できないのです。

ちなみに、<a href="http://www.uranai-king.com" target="_blank">電話での占いはココ</a>からどうぞ。
]]>
      
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   <title>日本で見えたオーロラの話　2</title>
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   <published>2012-02-10T05:58:21Z</published>
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   <summary>たとえば、『日本書記』巻22、推古天皇28年12月1日(西暦620年12月31日...</summary>
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      たとえば、『日本書記』巻22、推古天皇28年12月1日(西暦620年12月31日)の条に・・・


十ニ月庚寅朔、天ニ赤気有リ、長サ一丈余、形碓尾ニ似タリ。


・・・碓尾というのは、よく意味がつかめないのですが、碓は石でつくった唐臼のこと、臼の台のような形に末ひろがりに見えたということでしょうか。


この「赤気」と述べられているのが、一部は彗星かも知れないですが、大部分はオーロラを指しているようです。


下って、藤原定家の『明月記』巻19、元久元年正月19日(1204年2月21日)の項にも・・・


「正月一九日、天晴、北方艮の方ニ赤気有リ、其ノ根月ノ出方ノ如シ、色白明力、其ノ筋遙引シテ焼亡ノ如ク遠ク光ル、白色四五ヵ所、赤筋三四筋、雲ニモ非ズ雲間ニモ非ズ星宿ト共ニ、光イササカ之ヲ陰スル中ニ此ノ如シ、白光赤光相交リテ、奇シテ而モ尚奇トブベシ、恐々恐ルベシ・・・」


・・・とあり、さらに2日後にも引続いて見えていたことが記されています。


その描写はきわめて具体的で、北の空に見えていたこと、月の出る時の光の感じに似ていること、色が白筋、赤筋が入り交ってハッキリ見え、火炎の焼けるようにも見えたというからまさしくオーロラと考えられます。


定家の住む京都で見えたのですから、余程すばらしいオーロラであったのでしょう。


・・・さらに記録をたどってゆくと、江戸時代の明和7年7月28日(1770年9月17日)にも、著しいオーロラの出現があります。


約40種の文献に記録が残っていて、おそらく日本で見られたものでは最大の出現と見られています。


      
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   <title>日本で見えたオーロラの話</title>
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   <published>2012-01-02T05:57:27Z</published>
   <updated>2012-01-02T17:15:05Z</updated>
   
   <summary>テレビで、アラスカのオーロラの実写録画が放映され、その神秘的な美しさに魅せられた...</summary>
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      テレビで、アラスカのオーロラの実写録画が放映され、その神秘的な美しさに魅せられた人は多いと思います。


是非見たいといって、アラスカ・ツアーに参加してみたら、なんと7月で、夜が2時間くらいしかなくそれに白夜で、まったく見られないで帰ってきたという笑い話みたいな話もききました。


スペースシャトルでは、日本の宇宙科学研究所の大林辰蔵博士が開発した人工オーロラ実験装置で、霞子ビームを大気中に打ちこんで、入工のオーロラをつくろうという計画があります。


果して、日本の上空にオーロラができるかどうか、地上から見ることが可能かどうか興味深い実験ですが・・・


残念ながら天然自然のオーロラは、私たちの住む日本の上空ではほとんど現われないことになっています。


その理由は、北極南極地方に近い地球磁極にむかって、太陽から放射される電子シャワーが引きつけられ、極地周辺にしか降りそそがず・・・


その結果、地球上層大気の水素、窒素、酸素などの原子を刺激してネオンサインのような光を発するのですから、赤道から中緯度付近では見えないのが当然というわけです。


なんとなく意地の悪い話であるのですが、それがゼッタイ見えないということもないのです。


古い天文気象に関する古記録を見ると、ときたま「赤気見ゆ」といった記事があります。


      
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   <title>ジャングルの法則と宗教観　4</title>
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   <published>2011-12-04T09:00:08Z</published>
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      失敗は個人の性格や意思に欠陥がある場合とみます。


カウェルティがセルフ・メイド・マンの思想・・・


つまり成功の哲学を旧思想に対する断絶ととらえず、連続とみるのはこの点からであり、ここで伝統的プロテスタント倫理の自己修練は、新しい衣を着て再登場してくるのです。


したがってカウェルティは、アメリカにおけるダーウィニズムの影響は皮相的なものであったとみるわけです。


金メッキ時代においてはセルフ・メイド・マンは、一面では泥棒貴族としてジャングルの法則の中でたくましく生きるとともに、他面では伝統的倫理に支えられることは、決して不可能なことではないのです。


セルフ・メイド・マンのイメージと泥棒貴族のイメージは重なり合うのです。


セルフ・メイド・マンがアメリカの大衆に人気があるのは、世俗的なイメージにもかかわらず、案外彼が宗教的倫理をがっちり踏まえていることにあるのかもしれません。


したがって、この微妙なバランスを大きく外せば、讃美は憎悪に変わり得るのです。


その点で「エリーの戦い」でグールドら鉄道3人組の1人、ジム・フィスクが狙撃されたのも、理由がなかったわけではありません。


      
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   <title>ジャングルの法則と宗教観　3</title>
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   <published>2011-11-23T08:59:33Z</published>
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      旧思想は急転した現実には適応できないので、新思想への再構築を余儀なくされたにすぎません。


たしかに勤勉や節制といった自己修練の美徳は、南北戦争前の生産が直接の成果をもたらした静態的社会では実質的な意義がありましたが・・・


しかし、戦後の大規模な工場制生産、とくに一日10時間から12時間に及ぶ苛酷な労働のもとでは通じなくなっています。


経済的利害と衝突しないかぎりは古い倫理は守られましたが、衝突する場合には無視されました。


したがって、個人的競争が人生の基本的様式となった新しい世代においては、伝統的思想は組み替えられねばならなかったのです。


具体的には、現実に開く一方の貧富の差をどう説明するかにかかってきます。


セルフ・メイド・マンは、自分に便利とみれば伝統に反するダーウィニズムすら取り入れましたが、彼がそれと基本的には融合できなかったのは、やはり伝統的自己修練の観念を捨て切れなかったからです。


なぜある人は成功し、金持ちとなり、他は落ちこぼれて貧乏になるのか・・・。


苛烈な競争社会ではそれに生き残るための決意があるかないかによって定まります。


      
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   <title>ジャングルの法則と宗教観　2</title>
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   <published>2011-10-11T07:58:59Z</published>
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      アメリカで社会的ダーウィン主義の思想がもてはやされるようになったのは、自然の成り行きであったといえるでしょう。


ダーウィン主義はたちまちロックフェラーやカーネギーのような人びとの心をもとらえてしまいます。


ロックフェラーは「大企業の発展は単なる最適者の生き残り、つまり自然の法則、神の法則のなせるわざにすぎない」と述べています。


これに対し、カーネギーは、


「われわれは、単に有利であるばかりでなく、人類の将来の発展にとって基本的であるというのなら、自ら適応しなければならない諸条件として、環境の著しい不平等や、工業や商業における少数の手中への企業集中や、これらの間の競争の法則を喜んで受け入れる」


・・・と述べています。


しかし、こうしたダーウィニズムへの帰依は唯物的な世界観を承認することであり・・・


このことは宗教的価値と世俗的価値のバランスを極端にゆがめ、伝統的プロテスタント倫理に反するものでした。


これに対し、シカゴ大学のジョン・G・カウェルティは、これらセルフ・メイド・マンの思想にはこのような断絶はなく、むしろ伝統的プロテスタント倫理は新しい時代の「成功の哲学」とは密接に連続しているものとみています。



      
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   <title>犬のツメのお手入れ　2</title>
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   <published>2011-09-02T04:38:41Z</published>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wwmatrix.com/">
      <![CDATA[白いツメは血管がみえますが、黒いツメの場合は血管が見えにくく、深ヅメの原因になります。


一度深ヅメを経験すると、ツメ切り嫌いの犬になりますから、細心の注意が必要です。


さて、ドッグフードが多様化、高級化し、犬の食生活も人間並みに"やわらか志向"が目立ちます。


その結果、食ベカスが歯に付き、それが歯垢の原因になっています。


歯垢を放っておくと、口臭や歯石の原因に・・・。


やがて歯槽膿漏や歯肉炎を招き、しまいには歯が抜けてしまうこともあります。


それには病気の原因となる歯垢を取り除くことが先決。


歯のみがきかたは・・・


1．ガーゼを右手の人指し指に巻き、犬の口を開き、歯、歯ぐきを上下にマッサージしてやる。


2．最初は前歯から行い、少しずつ慣らしていく。


犬用の歯ブラシは、<a href="http://kongo.ocnk.net/" target="_blank">無駄吠え防止</a>などのグッズが置いてあるお店で買うことが出来ます。


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   <title>犬のツメのお手入れ</title>
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      <![CDATA[犬の散歩後はほこりで汚れたからだ、ロや手足をよく拭いてやりましょう。


ただし、指間のただれの原因になるので、足先を水につけて洗わないこと⑱尾のつけ根、肛門のまわり、前足後足の毛を短く刈っていつも清潔に。


伸びたツメは必す切ってやります。


人間でもそうですが、ツメが伸びすぎると皮膚をひっかいたり、生ヅメをはがしたり、思わぬケかを招きます。


犬も同じこと。


特に運動量の少ない室内犬(小型犬)ではツメがすり減らす伸びるのが早いもの。


それに比べ、外歩きのチャンスが多い屋外犬では、ツメはほとんど磨滅してしまいます。


ただし、狼爪は皮膚にくいこむことがあるので切らなければなりません。


伸びたツメは月に一度の目安で、入浴後のやわらかい時に切ってやりましょう。


切る部分はとがっている先端。


この時、血管まで切らないように注意します。


爪きりは、<a href="http://kongo.ocnk.net/" target="_blank">無駄吠え防止</a>などが売っているショップで販売しています。

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   <title>文章に性格が…</title>
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   <published>2011-07-12T09:34:11Z</published>
   <updated>2011-07-22T06:24:39Z</updated>
   
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      <![CDATA[長文のレターを書く人間やディスプレイに<a href="http://temponotatsujin.jp/SHOP/54606/list.html" target="_blank">かくれん棒</a>を使う人間にA型が多いが、私も書き出したらきりがなくなる。

「オレの気持ちがわからんのか」と友にくってかかったものだが、ついに出さずじまいとなった。

いまから考えれば、彼の判断が正しかった。

英文を書く場合も同じである。

英文で自己との葛藤を繰り返しながら、思考は水晶化し、筆鋒はますます冴えてくる。

話しながら到達し得る境地では、決してない。

美文家として知られている、前述のランス・モロー氏は、書かねば考えられない、とさえ言われた。

私も同感だ。

考えてから書くというよりも、問題意識を持って書き始めると、自然に思考が論理的にまとまってくるものだ。

書くということは、問違いなく、思考の訓練になる。

反面、話すことは、必ずしも思考の訓練につながらない。

喋りながらでも思考訓練になるという人が多いので、この点、もっと論議を繰り返さなくてはなるまい。]]>
      
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   <title>ジャングルの法則と宗教観</title>
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      南北戦争それ自体が「第二の独立革命」といわれる変革を生み出し、同時にアメリカ人の心に長い間深い悔恨を残しました。


のちの2回の世界大戦にしても、同じく現代アメリカ人の心に傷痕を残したといわれるベトナム戦争さえも、彼らには外国の戦争でした。


しかし南北戦争の場合は、国内でアメリカ人同士が血で血を洗う殺し合いをやったのです。


その結果、人口3100万人のアメリカで戦死者は両軍合わせて61万人、100万人以上が戦争で傷つき、破れました。


内戦には間接的被害も大きく、とくに戦場となった南部では、多くの都市が焦土と化し、鉄道は分断され、プランテーションは崩壊し、解放奴隷はほとんどがたちまち生活の道を断たれました。


大農を中心に繁栄した南部も、この内戦を契機に崩壊に向かいます。


泥棒貴族が登場したのもこのような社会的経済的激変期だったからであり、彼らはこうした変化から必然的に生まれる、あらゆる機会をとらえて富を追い求めました。


・・・このような動乱期には食うか食われるかのジャングルの法則がまかり通ったのです。



      
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   <title>出稼ぎ組合の結成　4</title>
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   <published>2011-05-27T03:30:46Z</published>
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      旅費を出すと約束したのに半額にされてしまったり、基本単価はなんぼだと約束したところが、実際は200円、300円も違ったり・・・


口約束だけでは証拠にならず、出稼ぎ者がいつも不利になるのですから、私たちは労働契約書を作って、そこに相手方がハンコを押して、いつからいつまで、労働時間、残業、賃金、深夜作業、災害保険、いろいろな旅費なども含めて細かく書いた文章契約をすることにしました。


昭和40年代なかばころまで、市町村自治体でも農協でも出稼ぎの調査や対策を全くやっていませんでした。


さいわい私たちは組合をつくり、一生懸命調査や対策に奔走しておりましたから、問題を比較的的確につかんでおりました。


昭和45年に、私の住む町の出稼ぎ者が5人死んで帰ってきました。


となりの大森町の人という出稼ぎ問題をやっている方がいて、連絡とってみたら、大森町でも5人死んでいることがわかりました。


羽後町、大森町の比率で全県町村に出稼ぎ事故が発生しているとしたらかなりの数にのぼるんではないだろうかと思ったものです。


またその年、ケガをして帰宅して病院通いしている人が、私の村の300何人かの中に14人いました。


      
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   <title>出稼ぎ組合の結成　3</title>
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   <published>2011-04-27T03:30:13Z</published>
   <updated>2011-07-07T02:55:10Z</updated>
   
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      東京にくるとまた同じように大工事がいっぱいある。


その当時は地下鉄工事で大体1平方メートルあたり4千万円だったんですが、舗装道路とか地下鉄工事がわんさとある。


秋田ではやらなければならない仕事がいっぱいあるのに予算がなく仕事がない。


だから仕事のある関東・関西に出稼ぎに行くので、出稼ぎ問題の一つは地域格差だと思いました。


出稼ぎはオリンピックまでの一時的なものだぞ、と言われていたわけですが、その年700戸の農家のわが村からの県外出稼ぎ者の数は290人でした。


その次の年になると350人に増えました。


オリンピックが終わった年です。


次から次といろんな問題が出るもんだから、これはひとつ出稼ぎ組合を作って、出稼ぎ者の人権、安全を守らなければならないと考えるようになりました。


そして昭和40年の秋、出稼ぎ組合を村の中につくるわけです。


そこで最初に手がけたのは、一番多い雇用されるときに約束した条件と違うという話です。


      
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